岡崎京子展に行ってきた
トピック「岡崎京子」について
先日、観に行ってきた岡崎京子展についてのトピックがあったので書いてみようと思います。
30代以上の方はリアルタイムだと思いますが、私も10代の頃から読んで、夢中になりました。
高校時代、キューティーなんて雑誌をクラスの友達と読みながら、真ん中に挟み綴じで連載されていた「うたかたの日々」が懐かしい。
その後、予備校〜大学時代が一番読んでいた時代でした。
リバーズエッジ、東京ガールズブラボー、pink…
特に、90年代を生きていた多感な若者だった私は、その少し前の「ダサかった80年代」についてすごく興味を持っていて、「東京ガールズブラボー」のその出てくる固有名詞を、書き出して調べまくる(でもネットがないから本当に苦労した)なんてこともしてました。(町田町蔵とか、ミチローとか…あるいはサカエちゃんが付けてたバッジのP.I.Lとか。そういうの全て。)
「80年代は何もなかった。でも私には…」みたいなことをあとがきに書かれていて、そう、みんなはそう言ってるけど、私はすごく興味があって、そしてそれについて違う!っと言っている人がいることがとても心強かったのを覚えています。
(今手元に原本がないのでうろ覚えですが…)
そのあと、「ヘルタースケルター」が出版されて、個人的に「これはすげぇ、やばい」みたいに感じたものがいつしか映画化されて、知名度というのか、一般に知れ渡りましたね。(観てませんけど)
岡崎京子さん自体が知れ渡ったかどうかはわかりませんが。
でも私にとっては、多感な頃に入れたものは、今でも身体の体幹みたいに残っているみたいに感じています。
で、世田谷文学館に行ってきました。
岡崎京子さん論については、私は難しく語れないので、単純に感じたことを書こうと思います。
まず、第一に思ったのは、もったいない!です。
今、岡崎さんが漫画を描けていたら、一体、私たちは何が読めたんだろう、と思うのです。
でも、待っている、というか、無理だったとしても、こういうものがこの世に出てきたこと自体に感謝、感動しなければならないと思うのです。
素晴らしいと思う。
展示室から出たところに、岡崎さんへのメッセージを書く紙が置いてあって、それまでに書いた方のメッセージを読めたのですが、その影響力、その人にとってどう大事か、作品をどう読んできたか、今何を思うか、そういう事がダイレクトに伝わってきました。
そして、そう感じて、待っている、ありがとうこちらこそ、と思っている人がたくさんいることに、単純に感動しました。
後は、生の原稿を見れたこと。
それもとても大きいです。
線、描き方、トーンの勢い、ホワイトの雑さ、または大胆さ、ストーリーなどなどを見れて、それは漫画ではなく「絵」の生々しさ。
印刷されたものではなく、「描かれたもの」。
そしてそれを描いていた人の「生きている証拠」。
そういうものを見れて嬉しかったし、これから生み出されるという希望も、持ち続けていたい。
そんな気持ちにさせられました。
すごく悔しい(今、岡崎さんが休業されていることに)気持ちと、清々しい、若々しい気持ちになった展示でした。
結構集中して、長時間観ていて、ふらふらしながら帰る道のりが、春めいていて、なんだかムズムズしました。(花粉のせいかも)
個人的には「恋とはどういうものかしら?」に入っている「素敵な時間」という作品がすきです。
デイジーの服がかわいい。
「サンドイッチ好きなの」ってところも。(アナと一緒だ)